今日の夕方、ふと読み返したくなった本が1冊ありました。

吉本ばななさんの「キッチン」です。

改めて読みたくなったきっかけですが、藍玉さんのブログでたまたま昨日見かけて、「昔読んだよねえ、そういえばどんな話だったけ?」と思ったからです。
たとえ絶望してもすべてが人生の糧になることを忘れずにいたい | 藍玉スタイル
記事を読んで、自分の視点では気づかなかったなあ、ということが、まず印象に残りました。
そして同時に、「そういえば、この前押入整理した時に、手前の箱にあったよ!」ってことを思い出しました。そんなわけで取り出してきました。
押入手前の段ボール箱に居た本たちの一部
奥付を見たら、1994年!!20年前ではないですか。
奥付。1994年。いまから20年前。
(確かに、この頃「とあるきっかけ」で買ったことを思い出しました)
表紙がなんか違うなあと思ったら、このときは福武文庫から出てたのですね(いまとは違う)。

改めて読んで感じたことですが、「あー、なんか世界観がちょっと不思議なかんじがした」。
いかにも私が好きそうな展開。
リアルに存在しそうで、どこか存在してないような、そんなかんじがしました。
今回気に入った場面。みかげさんが見た夢の中の1シーン。

でも、君はちゃんと元気に、本当の元気を取り戻せばたとえば僕らが止めたって、出て行ける人だって知ってる。けど君、今はムリだろう。ムリっていうことを伝えてやる身寄りがいないから、ぼくが代わりに見てたんだ。

一人じゃどうにもならなくなっちゃってる人が目の前にいるときに、どうしたらその人を救うことが出来るか、っていうこと。
そう。今の自分があるのは、いろいろと助けてもらったから。そんなことを思い出してました。
自分にとって「どん底」というかんじの「絶望」は、1998〜9年と2010〜1年なんですよね。死にかけたとかいろいろと。
参考

あと最後に、「えり子さん、かっこええ。」、これはたぶん(読んだ当時と)変わらなかったですね。
当時と違ったのは、ちょっとした既視感のようなものをかんじたこと。「なんか被るなあと思ったら、『暇だから、過去の家族話でも聞いてくれないか』に出てくる缶バッチくんの母ちゃんだ…」、って思ったことでした。

そして、3年前の今日の「ほぼ日手帳」に書いてあった一言が、これでした。
実は、辛かった最後の日。

明けない夜はない。

なお、この2日後の記事が、これでした。→一回休み。(3年前の今頃の話)

おまけ。
こちらは(逆に)、下に張り付いた(絶望の領域だった)じゃなくて上にぶつかった話。
20年くらい前に、自分の「天井」にぶつかった話。(1994年くらいの話)


投稿者 さやま ゆき